なかなか実際に「もっと教員を面白く」の内容にならずに申し訳ありません。本来なら、心も体もクタクタの先生に「こうやればもっとうまくいくよ」「こうして私は乗り切った」なんて話をしていこうと思っているのですが、どうも40年前の話を思い出して書いていたら、そのときの記憶がよみがえり、まったく真逆の内容になってしまっています。ただの苦労話で終わってしまったらだめなのでどこかで方向チェンジしないといけないですね。ただ、こんな大変なこともあったけど何とか乗り越えられましたよ…を最初に話しておく方が、そのために面白く簡単に楽に楽しく教員をやっていこうとしたというエネルギーになったと考えていただければありがたいです。
今回は免許外の技術の授業の話です。新任で22歳で教壇に立ち、担任は無し、理科を12時間を教えます。それと技術を6時間教えることになりました。もちろん免許は無く、「臨時免許」を1年限定で取得します。管理職と教委が知らないうちに申請して作成するのですが、この中に「本人も強く希望している」なんて文言があるのです。絶対に希望しませんから。だから見たことは無いのです。この後も英語、数学、体育の免許外申請をします。どうも「本人が強く希望している」ということになっているらしいです。もし打診されたら、「その書類を見せてください」と言いましょう。多分見せてもらえませんから。
当時は技術は男子だけで5クラスあったので2クラス合同で4時間、あと1クラスの半数だけを2時間、合計6時間です。今はもちろん男女一緒なので全然考えられないでしょうね。
私自身中学校で技術を習って以来、のこぎりもカンナも使ったことが無く、授業は本当に中1の技術の授業の記憶だけでした。理科と違って技術の先生は他に1人だけ。その先生は組合の支部長で出られるので、通常なら1人で全クラス教えられるのですが、組合活動の日(火曜日金曜日)に抜けるので、6時間程度は別の教員がすることが前年から決まっていました。今までなら他の理科教師(1年3年といます)がかぶっていましたが、この年はちょうど私が入ってきたので「こりゃいい!」となったのでしょう。本当にまったく分からない状態なのに何も教えてもらえず教材業者の言われるまま、本立てとちりとりを作って木工、金工を行いました。あとは製図ですね。製図については私も当時あった製図コンクールで入賞しているので何となくは分かりました。木工はけがき、のこぎり引き、釘打ち、ボンド付け、やすりがけ、砥の粉塗り、ニス塗りと工程が多く、毎時間どれかのことをしていました。何とか完成した自分の見本を今でも書斎で使っています。やや荒れていた学校でしたがそれでも1年生はまだ少しかわいく、大変でしたが無難に終えられました。
その後免許外で技術を教えることはありませんでしたが、これを契機にけっこう日曜大工に興味が持て、本立てや棚、靴箱などけっこう作ることができました。自分でまさかカンナを買うとも思っていませんでした、買ってきれいにカンナ引きを行いました。新築した家の本立てや棚などは自分で作ったので大変ありがたく思ってもらえました。
技術室は体育館の下で,どの学校でもそうでしょうが、あまり授業するにあたっては環境の良い場所ではなかったです。バスケットボールの授業を体育館でされたおりには本当に声をめっちゃ大きくわめき散らしても聞こえないくらいボールの音でいっぱいでした。これも今ではいい思い出です。次は部活動です。


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