2026-07

教師として考えること

④3次面接から辞令交付

昭和○○年3月25日、いよいよ大学の卒業式でした。聞くと多くの国立大学はこの日が卒業式のようです。そしてこの日はこれから就職する友だちやどうしても都合によりもう1年大学に残る友だちもいて、久々に出会える機会でした。 でもその日に私が受けた県の最終面接があったのです。さすがに最終面接をすっ飛ばして卒業式に出るわけには行きません。前日から実家に帰って支度をし、当日はスーツに着替えて会場である県の総合庁舎に向かいました。すでに内定合格はもらっているので気楽に行けばいいとは言われていましたが、そこでは4人が集められ、どうやら2人しか希望通り受からないということでした。「そんなことあるの」とは思いました...
理科教育

③採用試験はまさかの卒論実験

何とか2つめの投稿ができそうです。小学校教員養成課程4年でもちろん採用試験を受けます。3年生のとき、たまたま実家に帰って読んだその県の地方紙に「○○県、○年度の小学校教員採用ゼロか…」と記事が大きく出ていたのです。小学校教員になろうと大学を受けたのに「ゼロ」では困る。どうしようと途方に暮れました。 3年生で少し取りかけていた中学校理科の免許ですが、この際に1級(今の1種)にしようと後期は単位を爆取りしました。そして願書は中学校理科で出して中学を受けます。他県の大学に行っていたので自分の県のしかも中学を受ける友人はゼロ。最終的に小学校は100人程度の採用をすることになったらしいのですが、すでに受...
理科教育

②48年前に教員を目指す

私は中学校のとき教員を志しました。もちろんまだ漫然とでしたが、中3でほぼ確定したと思っています。両親も祖父も農業を生業としており、私も小3からずっと春夏は毎日のように手伝いに時間をとられていました。学校から帰ったらちゃぶ台に「○○に来ること」と書いてあります。○○は田んぼもしくは畑の名称です。それだけ多くの面積を耕作していました。メインは葉たばこでした。米作と比べ大変手がかかるのですが、それだけもうけもあるのでしょう。父はどんどん面積を増やしてきました。もちろん専業農家です。 3時半頃からたばこ畑に行き、7時頃に帰ってきてすぐに夕食。そして9時から12時頃まで収穫した葉たばこを乾燥する段取りを...