私は中学校のとき教員を志しました。もちろんまだ漫然とでしたが、中3でほぼ確定したと思っています。両親も祖父も農業を生業としており、私も小3からずっと春夏は毎日のように手伝いに時間をとられていました。学校から帰ったらちゃぶ台に「○○に来ること」と書いてあります。○○は田んぼもしくは畑の名称です。それだけ多くの面積を耕作していました。メインは葉たばこでした。米作と比べ大変手がかかるのですが、それだけもうけもあるのでしょう。父はどんどん面積を増やしてきました。もちろん専業農家です。
3時半頃からたばこ畑に行き、7時頃に帰ってきてすぐに夕食。そして9時から12時頃まで収穫した葉たばこを乾燥する段取りをします。それを4年生くらいから毎日続けていました。宿題なんてする時間はありません。だから頭の中ではめっちゃ勉強したら農業しなくていいだろう…そんな気持ちで授業中で理解をして早めに宿題に手を出し、可能な限りチャイムとともに宿題を終了する。そんな計画を毎日立てていました。
具体的に教員を目指すきっかけは2つありました。1つは中3のクラスで担任の先生が研修で2ヶ月ほど留守にされました。副担任の先生が教室に入りますがやはり重しが違います。なかなか上手くできない様子でした。学級委員長だったこともあり、学活や終わりの会・朝の会で前に出て問題点を書き出したり、対応策を練ったりとまるで担任のように「学級経営」らしきものを行っていました。なぜかみんな違和感なくそれが当たり前のようについてきてくれました。2学期には担任の先生が戻られたので、その役目は終わりました。でも自分の中にうまく進められた、まとめられたとの満足感がありました。そして受験前になっていくわけですが、ここでもう1つのきっかけがありました。
受験前なので皆、5教科の復習をします。特に2年3年の理科が誰も苦手でそのとき教えてもらった先生がどうも人気が無く、あまり誰も授業を聞かない状態になりました。他のクラスはもっとひどい状態だったと言います。理科室の後ろの席でみんなもう授業なんて聞かずに自分の苦手な教科を勉強していました。私も大して授業は聞いていませんがとりあえず理科はやっていました。授業とは違う内容の理科の勉強をしていた友だちが多分理解していると思った私に質問してきました。それを小声で答えると今度は違う友だちが別の問題を聞いてきます。それも小声で答えました。
6人掛けの机で同じように次々と聞いてくるのです。次の友だちの質問はどうしても図を描かないと説明できないので理科室の後ろの黒板に図を描き小声で説明しようと振り返ったとき、ほとんどのクラスメートが後ろの黒板で遠慮気味に説明する私の方を見ていたのです。前で一生懸命授業をしている先生には申し訳なかったのですがきちんと説明して皆に満足そうな顔をされたことになぜか張り合いを覚え、ひょっとしたら自分は先生に向いているのではないか。それも理科がいいのではないか、そんな気分になってしまいました。
その6年半後本当に理科の先生として教壇に立ったのですからその経験は大きかったのです。そしてさらにそこから41年なのです。その間にいろいろ取り組んだり工夫したり、上手くいったりだめだったことも数多くあります。若い先生や困っておられる先生に少しでも経験がお話しできたらと思っています。ぜひ第二弾もお楽しみにしてください。

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