超小規模校なのでいろいろ小回りが利いて工夫すれば時間がけっこう取れます。学年も5年6年と持ち上がりで超小規模校に異動。3年4年3年といろいろ経験し、それなりに余裕が出てきました。理科教師としてもずっと自分で担当し、理科室も理科準備室もほぼ「自分の部屋状態」さらに情報担当でもあるのでパソコン教室、パソコン準備室もほぼ自室化しました。他の教員はあまり使わないので、きれいに掃除して棚に物をそろえ、机でしっかりと執務できるようにすると皆喜んでくれました。理科室の備品を整理し、台帳にあるものをきちんと確認できることで事務も喜んでくれます。
少し時間ができたのとこの頃、実験講師の依頼が多く集中しました。それも競艇場です。もともと、日本科学協会の依頼を受けて青少年の科学体験まつりで講師をしていましたが、その体験まつりも2002年を最後に大きな全国規模のイベントはなくなり、さらに青少年のための科学の祭典も全国大会が終焉を迎え始めました(大会はありますが、講師として登録しにくくなった)。それでも日本科学協会は日本財団のもとで活動しているのでその日本財団のおおもとである全国競走会、日本船舶振興会が開催する競艇場での実験イベントがこの頃、盛んに行われました。全国24競艇場で親子の集いがあり、そこに実験イベントを行うのです。そこには赤鉛筆を耳にはさんだガチガチの競艇ファンがいるわけではなく、本当にファミリーがテーマパーク的に集まるイベントだったのです。
丸亀、住之江、芦屋、津、琵琶湖、湖西、戸田、鳴門、児島、尼崎、若松、大村まで本当に全国を回った記憶があります。多くは1日のイベントでブース形式で実験を参加者が選べる形なのですが、児島だけは違いました。そこには300人以上は入れるステージがあり、いつもなら歌謡ショーやトークショーが開かれている場所です。ここで3日間4回回しのサイエンスライブステージを頼まれました。
300人の4回回しというのは1200人分の実験材料の準備となります。ライブショーなのでMCと実験名人の博士、実験をするちょっと科学の弱い人、さらにアシスタントで会場を回る人の4人が要ります。ライブカメラも使うので撮影したり、実物投影機で実験材料を詳細に映し出す担当も要ります。だいたい4人か5人でライブを回していました。私はほとんどMCであり、材料準備であり、台本制作でした。だから夏休みはこのライブの準備一色になります。このサイエンスライブショーが児島で10年続いたのは本当に特筆できます。私たちの前にライブを行った他の有名な実験サークル(担当は大学教授です)が1年で私たちに引き継いだのですから。
競艇場のスタッフの方も本当に準備も当日もよく手伝ってくれました。そして何より楽しかったのは競艇場見学です。競艇場はレースが始まるとある種治外法権の会場となります。選手は携帯を取り上げられ、外部と一切連絡を取れません。八百長を防ぐためです。そして1日に何億円何十億円とお金が動きます。客の暴動もあるそうで、そこから選手を守ったり、お金を持って逃げる通路まで案内してくれました。裏が分かる現場は本当に楽しいものです。
そんな楽しかった競艇場イベントも競艇での売り上げがあまり伸びずに終わりを迎えました。当時競艇売り上げが年間1兆円だったそうで、その3.3%が日本財団に入ると言われ(330億円です)、それがだんだん下がっていたそうです。そのテコ入れだったようですが、あまりテコにならなかったみたいで、競艇場イベントも終了しました。今では逆にボートレースブームで年間2.6兆を超える売り上げがあるそうです。余力が出てきた中でまたこんなイベントがあるといいなと思いますが、もう今ならできないかも知れませんね。


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