⑯アメリカの学会で発表そして無事修了

理科教育

 無事書籍2冊の原稿を提出し、そのうちの1冊を○○研究の資料として添付し、科学の体験とそれを実行に移すカリキュラムの作成という修士論文ができあがりました。プロパーの方たちはしっかりと教授について理学的プロコトルを踏襲し間違いの無い論文を出しています。3分の2以上はそうでしょう。専門家以外は口出しのできない内容です。それに対して私のように教育論文は誰もが口出しでき、内容も分かり、統計的手法が間違っていればそれは意味の無い論文ともなり、場合によっては「修士として見合っているのか」そもそも「修了できるのか」と疑問が生まれたこともあったそうです。実際私のような研究をした数年先輩も最後のまとめができず、発表会でも総突っ込みで再提出の後何とか出られたと聞いています。私の前年もプロパーで無い教育論文の方は剣もほろろで教授陣の重鎮から攻められ多分3月末まで書き直しだったと聞きます。そう考えると教育論文は大変危険なのです。

 夏に理科教育学会の全国大会がありました。私はその頃はすでに全国のイベントに出かけ、あちこちで科学体験の講師をしながら様子を細かく記録し、データを残していました。ただ、全国大会が自分の大学であったのと、そのときのメインとなるテーマ別研究の4つの発表の1つに押し上げられてしまったことで大変な重圧を感じていました。Y教授も指定討論者となり、バスバスと質問攻めをされました。まあ、答えやすい質問もしていただいてありがたかったのですが。おかげでやや修論発表会への不安も少しになりました。

 修士論文の執筆がまっただ中な状況で、アメリカの全米理科教師協会(NSTA)の学会で発表しないかというオファーがやってきました。12月25日が論文提出の期限で、その学会は29日くらいにあります。まあ論文も出せているだろうからという安直な理由で受けてしまいました。同行するメンバーは気心の知れた者ばかりでそのうちに発表する者は3人ほどでした。論文作成にかまけてその学会行きをほとんど忘れていたのですが、航空券やホテルは取ってもらったのでそちらの手間は省けました。前日の24日に論文を提出し、本当にホッとできました。本当ならゆったりと温泉にでも行きたいのですが、今度は発表原稿を考えないといけません。一応、修論と同じように科学体験教材、自然体験教材に関する内容でサマリーは作っていました。それに合わせて本文を作らないといけません。もちろん英語です。必死で和英辞典を首っ引きで作りました。50部ほど印刷して準備を済ませ、関空からサンフランシスコに発ちます。

 とてもいいホテルで、パーティーもあり、そこで実験の披露もありました。2日ほど自由時間が合ったのでサンフランシスコを歩いたり、当時世界的に有名だったエクスプラトリウムにも行きました。こんな科学館を日本でも作れたらと本気で思いました。ヨセミテ公園も行け、壮大な自然に感動しました。そして次の日はみんなサンフランシスコ科学館に行くそうです。さすがに次の日は学会発表なので私は1人部屋にこもり、発表原稿を和英辞典とにらめっこしながら、作成しました。人生で一番英語を書いた気がしました。

 あまり記憶に無かったのですが、当日の学会発表で私は大学院同期の研究発表(地学分野です)の司会をすることになっていました。英語にそんな自信がある方では無かったのですが、彼の指名でした。大変でしたが、そこは何とか切り抜けました。今考えると大変無茶をしたと思っています。

 さて、学会発表本番です。一応3人で発表ですが、実際はほとんど私1人で他2人はデモンストレーションをしてもらいます。音ネタ、光ネタ、自然ネタでLet’s Make Play and Thinkというタイトルでした。作って、遊んで、そして考えようです。副題は Using Natural Materialsで自然材を使って科学体験をし、そこで原理や真理を考えようというものです。

 まあ突貫工事でしたが何とか英語も通じ、多くの拍手をいただき、満足した学会発表となりました。

 アメリカから帰って今度は修論発表会に向かいます。以前や前年の教育系論文は大変叩かれたので、恐怖はありました。ただ、隣の研究室の助教授が「○○さん、何か質問して欲しいことは無いかな。僕で良かったら1番に質問してけっこう時間をかせぐから」と大変な追い風をいただきました。談合っぽいですね。実際に質問してくれてしっかり答えられ、最後は「いい研究です」とも言ってくれました。同期の者も質問してくれ結構盛り上がった状況で時間が終わり、ありがたく再提出なしで論文は通りました。その後もう現場に戻る計画をすることと片付けをしないといけないことになるのですが、この論文発表の後にまた1つ大きな壁が待っていました。

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