⑩理科に注力、大学院受験

理科教育

 22歳で教員になり、文系出身でありながら、「小学校教員ゼロか?」の報道を見たことから急遽3年生の途中から中学校理科の免許を取り始めた私ですが、毎日の授業を行いながらどうしようもない不満と不安が心をよぎっていました。「理科をもっときちんと勉強したい」そんな思いでした。4年も5年も中学校教師を続けていると、初年度のような生徒が指導下に入らないことも少なくなり、難しい子も次第に心を開いてきたりして、上手くいかなかったことが上手くいく楽しさを感じ始めてきました。確実に教師として成長してきたのでしょう。難関だった部活動もバスケットボール部を離れる際は今まで教えていた2年3年の部員たちが涙を流してさよならしてくれました。野球部も結果を出すことで信頼も得て、地域の中では常勝チームとも呼ばれることもありました。ピンチのときはベンチから球種やコースのサインを出し、見事スクイズやエンドランを外して勝利することもあり、その面白さが分かり始めてきた頃でした。

 学級も2年生(担任無し)、2年生担任、3年生担任、1年生担任、3年生担任、1年生担任、3年生担任と通常の持ち上がりでは無いにしろ、請われて3年生を担任することもあって意気に感じたものでした。子どもも生まれ、まさに充実した30歳前でした。

 ただ、新任当時、生徒に対して唯一のアドバンテージだったはずの理科の知識や実験の技術が「このままでいいのか」と少し不安になることがありました。あれほど一生懸命授業準備していたのが、学級や部活、進路指導もあり、どうもおざなりになってしまっていました。もちろんそれでも授業はできます。しっかりと1年分の授業のプランもあり、手書きでしたがワークシートも毎回用意していました。ただ、実験や観察については時間をかけないようになっていました。それで授業がちゃんと回るのならそれでいいはず。そう思っていましたが、1年生の植物観察の時間に、生徒に「先生、この花なんていうの」「この虫はなんだろう」そんな質問がいくつかありました。自信があれば言うのですが、そんな正式名称も知らないので適当に言っておくとやはり「花博士」「虫博士」はどの学年にもいるもので、「コバノミツバツツジや」「ミツノゴミムシダマシやで」と本当に得意そうに語ってくれます。マニアックな物は別として、学校に咲いている花や普段見かける虫の名前くらいは知っておきたいと思いました。

 もちろん、ある程度の下調べをして授業に臨みますが、それでも知らないものの方がはるかに多く、得意とするはずの生物はどちらかというと苦手な分野となってきました。だからというわけでは無いのですが、もう一度しっかりと理科が勉強できたらという思いが年々強くなってきました。

 「大学院に行けたらな」そう漫然とした思いと、それでも何か専門で研究するには何かテーマが要ると考え、たまたま講演会で話を聞いた教授の内容が環境教育であり、身近な植物や動物をテーマにした生徒が自ら計画し、構築する「環境教育の環境づくり」だったのもあって「これだ!」と思いました。その教授の研究室に入りたい…本当にそう思いました。

 通常なら一度は研究室を訪れ、「ぜひ先生の研究室に入って研究したいです」と挨拶するものでしょうが、そんな常識も知らず、何とか受験ができるよう校長や教育委員会と何度も相談しました。はじめの年は箸にも棒にもかかりませでした。次の年にはどうやら組合の反対も無くなり、受験しやすそうになり、書類審査で合格して本受験を迎えられるようになりました。

 そうなったら今度は必死で受験勉強です。生物をメインに受けるので大学入試用の生物の記述式の問題集を買いました。100問中4問しか解けませんでした。過去問もしましたが本当に全くできません。「STS教育とは何か」ってどこを調べても書いてありません。街の書店に行き、STSと書いた本を見つけ買ってきました。「科学技術社会の略称」と覚えたらいいのでしょうが、とりあえずとその本1冊を買いました。問題集が解けぬまま夏休みに入りました。ありがたいことに野球部の副顧問が主顧問となってくれ、練習に顔を出さずに済みました。家にいると勉強できないのでホテルをとって缶詰になって勉強しました。4問しか解けなかった問題集も92問まで解けました。STSもオズボーンもスプートニックショックも構成主義的理科教育もなんでもござれになりました。その勢いで入試に挑み、信じられないくらい「できた」感がありました。英語のテストも主語のShamanの意味は分からなかったけれど「シャーマンが」「シャーマンによると」とまるで外来語のように答え、教育での落ちこぼれを「積み残し」と称された論文では「臨時列車や季節列車を走らせる」と列車に例えて答え、ブナ林の極相問題も過去問丸覚えで無難に解きました。6時間にも及ぶ1次試験をクリアし、何を聞かれたかも覚えていない2次試験の集団面接も苦しみながら乗り切りました。

 9月には合格通知をもらい、残りの半年をわくわくしながら過ごし、最後の2年生担任としてクラスを仕上げて中学校教員9年目を終えました。決して得意で無かった理科での受験でしたが、やる気になれば何とでもなるものだと思い、13年ぶりの学生生活を始めることになりました。

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