⑬大学院1年生から学部の講義

理科教育

 大学院での話です。いくらでも話はあるのですが、テーマの「もっと教員を面白く」にまでなかなか行かないので少々ジレンマに陥っています。本来の目的は心や体をやられて、お休みしたり転退職を余儀なくされる方に、もっと気楽に面白く過ごして終えようよ…などと定年退職して再任用で働いているものがお気楽に語りかけることをモットーとしていたのですが、そこに至るまでの経緯を述べ始めるとそれとは真逆の向きに進みそうでやや嫌気も差してきます。

 研究室も決まり、残りの4分の3をどう過ごして研究に向かおうかを考えつつ、毎日講義を受け、研究室に向かいます。私の指導教官Y教授は本当にユニークな方で、今では考えられないでしょう、けっこう休講があったのです。後年私も大学で少し教えることとなるのですが、今は1回休講すると必ずその分の補講が義務づけられます。平成初期はそんなこと無いのでしょうね。昭和もそうでした。私自身Y教授の講義は絶対に休むことはありません。しっかりとメモし、今でもノートは残っており、その後の教員人生に大きな示唆を与え続けています。でもこんなこともよくありました。「○○さん(私です)、明日時間ある?」と突然言われます。「僕ちょっと講演があるんだよ」。私は車で送るのかと思い(教授は運転されません)、「いいですよ。どこに送りますか」。よくある会話でした。教授の講演を送ることはその講演を聞くことができるので大変有益なのです。「いや迎えは来るからいいんだ。○○さんには僕の講義をして欲しい」。驚きました。大学の授業ってそんな簡単にできるのかと思いました。「大丈夫、1年生だからこの前まで高校生だよ。前までの授業と変わらないよ」。私が中学校の教員だったことも忘れているようで高校の先生と思っていたようです。「先生、でもどんな授業をしたらいいのですか。それと何人いるのですか」。心そこにあらずでもすでに授業を行う前提で聞いています。「この前、僕が院生にしたような話をしてくれたらいいよ。2コマだから150分だね。1年生200人。もしできたらプリントもしといて」。まあ簡単に言われます。「それとできたら評価もよろしく」ついに「永ちゃん」も登場してきました。以後この「よろしく」に何度悩まされたことでしょう。

 かくしてこんな数分のやりとりだけで教育学部1年生の講義を2コマ行うことになりました。私もつい先日受けた大講義室です。自然体験と理科教育について語ることになるのですが、まあ準備が大変でした。どんぐり、松ぼっくり、枯れ枝、アケビや栗、ヘビやイモリ、ホウネンエビにトノサマガエルとハツカネズミ(ヘビの餌にしていました)など手に入るだけの秋の自然教材を集めに集め、触れさせたり、匂いを嗅がせたり、とにかく手に取って意識させ、その上でそれにまつわる話を語源も含めて行うという教授の手法の丸パクリでした。

 資料にはいくつも問題を出しました。アマガエルは泳げるだろうか、花の絵を描いてみたら平行脈の葉に合弁花の花を描いていないか、逆鱗のうろこはどんなうろこ、逆なでするってどういうこと、同期の桜の意味は…なんて本当についこの間習ったことの受け売りばかりでした。笑わせたり、作らせたり、感心させたり発表させたりと、そのとき私がもっている力のあらんばかりを使い切り、ヘトヘトになって150分を持たせました。

 教授が講演から帰ってこられたときは私はレポートを採点中でした。「ありがとうね。適当にABCつけといて」。「また次もあったらよろしく」。またも永ちゃん登場です。後で聞くとそんな院生に講義させるようなことは過去に一度も無かったようです。味をしめた教授はその後も「次は文系の学部生」「次は芸術系の子」など本当に適当にポンポン頼んできます。2年生になると講義もほとんど無いので「一緒に来て」と言われ幼年教育の部屋に行くと、そこには助教授の方がおられました。どうやらこの助教授と組んで1学期分の講義を毎週幼年教育の学部生に行うことになったようでした。「助教授は理論を、○○さんは実技をしてね」。教授は簡単な指示をしてその場から消えました。

 かくして私は研究と講義の二刀流を短い院生生活の中で行うことを余儀なくさせられたのです。もちろん今から思えば名誉なことで他ではあり得ないことでしょうがそれはそれは大変なことでした。そして多分正式には「アウト」なことだったでしょうね(もちろん報酬はありません)。ただ、そんな実践は自分の論文や研究には十分役立ったので今考えると確かにありがたかったとは思っています。

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