理科教育

⑬大学院1年生から学部の講義

大学院での話です。いくらでも話はあるのですが、テーマの「もっと教員を面白く」にまでなかなか行かないので少々ジレンマに陥っています。本来の目的は心や体をやられて、お休みしたり転退職を余儀なくされる方に、もっと気楽に面白く過ごして終えようよ…などと定年退職して再任用で働いているものがお気楽に語りかけることをモットーとしていたのですが、そこに至るまでの経緯を述べ始めるとそれとは真逆の向きに進みそうでやや嫌気も差してきます。 研究室も決まり、残りの4分の3をどう過ごして研究に向かおうかを考えつつ、毎日講義を受け、研究室に向かいます。私の指導教官Y教授は本当にユニークな方で、今では考えられないでしょう、...
理科教育

⑫壮絶な大学院1年生。テーマ決めに困窮

振り込みが遅れて迷惑をかけた入学金も前期学費も支払い、引っ越しも行って4月には大学院生になりました。この大学には寄宿舎があり、大学生や単身の院生はいわゆる昔ながらの6畳1間の共同風呂、共同トイレの寄宿舎ですが、私のような家族持ちは「世帯用寄宿」に住むことができました。狭いですが、4.5畳、6畳、2畳の3部屋で4.5畳には別でキッチンがついています。もちろんバストイレ付きです。夫婦と2歳の幼児1人が住むには十分です。これで9500円(単身用は3000円)。なんと安いのです。毎日講義を受けますが、寄宿舎は大学構内に設置してあるので講義棟まで歩いて5分程度。何ともありがたい限りです。 入学式の後、オ...
教師として考えること

⑪入学まで半年でできること

9月に合格発表があり、無事31歳で大学院生になることが確定しました。ありがたいのはそこから半年間、すでに来年はこの学校にいないのが分かっていて指導が続けられることです。多くの異動は本当に直前にならないと分かりません。ですからこの子たちにこんなことをやってやりたい。でも来年もあるからそれからでもいいか…と考えても来年が分からないのです。私の場合は半年後確実に異動するのが分かっているので中2のクラスの子に、そしてその学年の生徒たちにできることをぜひしてやろうという気になりました。 とは言っても大学院進学のことをしゃべるわけにはいきません。同僚にも話さなかったのですが、10月くらいの会議で「○○先生...
理科教育

⑩理科に注力、大学院受験

22歳で教員になり、文系出身でありながら、「小学校教員ゼロか?」の報道を見たことから急遽3年生の途中から中学校理科の免許を取り始めた私ですが、毎日の授業を行いながらどうしようもない不満と不安が心をよぎっていました。「理科をもっときちんと勉強したい」そんな思いでした。4年も5年も中学校教師を続けていると、初年度のような生徒が指導下に入らないことも少なくなり、難しい子も次第に心を開いてきたりして、上手くいかなかったことが上手くいく楽しさを感じ始めてきました。確実に教師として成長してきたのでしょう。難関だった部活動もバスケットボール部を離れる際は今まで教えていた2年3年の部員たちが涙を流してさよなら...
教師として考えること

⑨野球部監督になる

中学校部活動のことについて書きます。部活動は「もっと教員を面白く」には到底馴染み無いテーマです。部活動があるから中学校教員は嫌だ、部活動さえ無かったらもっと授業や学級に打ち込めるのに…そう思う先生も多いことでしょう。実際私もそうでした。バスケットボールをしたくて教員になったわけじゃ無い。理科を教えたいんだ(その理科もそんなに得意では無かったのですが)。その気持ちが確かに強かったです。独身のときならまだいいのですが、家庭をもち、子どもが生まれ、その上で部活動に平日遅くまで土日も丸々潰して取り組むというのはどう考えても(その当時も)割に合うとは思えません。無粋な話ですが当時の特殊業務手当は500円...
教師として考えること

⑧部活動で毎日撃沈!

中学校教員と小学校教員の違いは1人で全部教えるか、専門の教科1つを教えるか…と言うことだと思います。でも実はもっと大きなことがあるのです。それは部活動の顧問をするかしないかなのです。部活動は教育課程外なので、そんなことは、と言いそうですが、この部活動がかなりやっかいでした。私の前に理科でその新任の勤務校におられた先生が男子バスケットボール部の監督(正式にはコーチになります。バスケットボールはコーチがチームを仕切ります)が異動でした。そのため女子の監督が男子の監督になり、私が女子の監督になりました。男子の監督に平行移動した前女子監督は大学までバスケットボールをしていた体育教師で体育以外で初めてボ...
授業と学び

⑦免許外教科の技術を教える

なかなか実際に「もっと教員を面白く」の内容にならずに申し訳ありません。本来なら、心も体もクタクタの先生に「こうやればもっとうまくいくよ」「こうして私は乗り切った」なんて話をしていこうと思っているのですが、どうも40年前の話を思い出して書いていたら、そのときの記憶がよみがえり、まったく真逆の内容になってしまっています。ただの苦労話で終わってしまったらだめなのでどこかで方向チェンジしないといけないですね。ただ、こんな大変なこともあったけど何とか乗り越えられましたよ…を最初に話しておく方が、そのために面白く簡単に楽に楽しく教員をやっていこうとしたというエネルギーになったと考えていただければありがたい...
理科教育

⑥時間のかかる実験準備

22歳の教員1年目、学級担任なし、2年生4クラスの理科授業12時間と1年生技術の6時間で計18時間の授業を週に行います。メインの校務分掌は警備防災。これは新任教員の登竜門でしたがそれでも年に2回の避難訓練を仕切るだけなのでそんなに負担ではありませんでした。理科の授業は毎日準備をして実験をしっかり行い、上手くいかないことも多くありましたが、自分がやろうとしたことなので何とかやっていけたと思います。とりあえず理科で自分より知識があってやり込められるような生徒はいなかったですから。ただ、かなり荒れた学校で、多くの先生方がその対応で苦慮されていました。自分の中学校の頃はどれだけみんな真面目だったんだろ...
教師として考えること

①もっともっと教員を面白く

はじめまして。教職41年目の会計年度教員です。22歳で教員になり、その後ずっと勤め続け、今は63歳です。一昨年度に定年退職し、昨年度は再任用教員。そして今年度は臨時教員です。立場は変われどとりあえずほぼ毎日(再任用と臨時教員は週4で働いています)学校に行っています。 実は20年前にブログを立ち上げ、ほぼ毎日のように更新し、何をテーマにと言うわけでも無くだらだらと書き綴っていました。15年前にはフェイスブック、13年前にはYoutube、5年前にはツイッター(今はエックス)、そして3年前はインスタも始めました。特に何かを発信しなければと言う強い思いは無いのですが、その日の思いをそこはかとなく書き...
教師として考えること

⑤会議は一杯飲んで麻雀で決まる

このブログのテーマは教職41年を迎えている現役再任用教員が多忙を極め心も体も限界寸前の現役バリバリの先生方に何とか少しでも楽にそして楽しく面白く教員生活を続けてもらえたらということを願って書いているものです。「今だから言えるんだろう」「昔は楽だったんだろう」そんなツッコミが入りそうですが、昭和時代に教員になった者は毎日が本当にパワハラで、それをパワハラと感じずに過ごしていたものです。だから精神面が鍛えられた…と言うのでも無く、まあ鈍感だっただけかもしれません。ただ、教員が面白かったことは間違いありません。授業が、学級が、生徒指導までが面白く、できなかったことができるようになることに喜びを感じて...