授業が終わったあと、
黒板の前に立ったまま、
しばらく動けないことがあります。
大きな失敗をしたわけではありません。
けれど、どこか噛み合わなかった。
問いかけが宙に浮き、
子どもたちの表情が遠く感じられた。
そんな感覚だけが、静かに残ります。
うまくいかなかった、という実感
説明が長すぎたのかもしれない。
待つ時間が足りなかったのかもしれない。
別の言葉を選べばよかったのかもしれない。
授業中は流れていった時間が、
終わったあとになって、
ゆっくりと巻き戻されていきます。
完璧を目指しているわけではありません。
けれど、
「もう少しできたのではないか」
という思いは、何年経っても消えないものです。
帰り道に考えること
学校を出て、
いつもの道を歩きながら、
もう一度あの時間を思い返します。
あの沈黙は、悪いものではなかったのではないか。
あのつまずきは、
子どもたちなりに考えていた証だったのではないか。
教室の中では見えなかったことが、
少し距離を置くと、
別の姿に見えてくることがあります。
失敗というよりも、
途中経過だったのかもしれないと。
うまくいかなかった日の意味
不思議なことに、
順調だった授業よりも、
うまくいかなかった授業の方が、
記憶に残ります。
あの時の空気。
言い終えたあとの静けさ。
うまくつながらなかったやり取り。
その一つ一つが、
次の授業をつくる材料になります。
うまくいかなかった日は、
何も残らない日ではなく、
考える時間が増える日なのだと思います。
明日への小さな修正
家に近づくころには、
少しだけ気持ちが整っています。
問いを一つ減らしてみよう。
もう少し、待ってみよう。
黒板の使い方を変えてみよう。
大きな改革ではありません。
ほんの小さな修正です。
それでも、
その小さな修正の積み重ねが、
いつか教室の空気を変えていくのかもしれません。
今日もまた、歩きながら
授業は、
教室の中だけで終わるものではないように思います。
うまくいかなかった日の帰り道も、
その続きの時間です。
考えながら歩く。
少し立ち止まりながら歩く。
そうしているうちに、
明日、もう一度教室に入ろうという気持ちが、
静かに戻ってきます。
今日もまた、
いつもの角を曲がりました。


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